散歩の記録
PR

【富士塚】和光市・板橋区の富士塚を巡る – 白子富士、赤塚氷川神社富士塚、諏訪神社富士塚(2025.5.28)

白子熊野神社の富士塚
mtwalker
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

梅雨の前の天気のすぐれない日が続いていますが、久々に良い天気の日を見計らい散歩です。
和光市から板橋区のいくつかの富士塚を巡りました。

基本情報

日付:2025.5.28

天候:晴れ

コースタイム
  9:58 発 成増駅
 10:13   白子富士
 11:00   赤塚氷川神社富士塚
 11:14   赤塚城山
 11:24   東京大仏
 11:40   赤塚諏訪神社富士塚
 12:07 着 新高島平駅

行程

白子富士

武州白子熊野神社は、埼玉県和光市白子に位置し、地形的には武蔵野台地の南端にあたる「白子川崖線」の中腹に鎮座しています。
この崖線は台地が白子川に向かって急激に落ち込む地形で、周辺には湧水が多く見られる特徴があります 。
神社の背後には池があり、湧水があることを伺わせます。

境内には元の地形を利用して作られたと思われる「白子富士塚」が築かれています。
境内から見ると高さ10メートルあり、かなり大きいと感じます。

□白子富士
https://maps.app.goo.gl/HbfDsQ7ZwAdXNybB7
住所   〒351-0101 埼玉県和光市白子2丁目15
所在施設 武州白子熊野神社 http://shirako-kumanojinja.wixsite.com/kumajin
成立   明治3年(1870)
構築講  丸瀧講
大きさ  高さ約10メートル、東西幅約30メートル、南北幅約30メートル
眺望   あり、富士山は見えない。
登頂   可能
備考   和光市の指定文化財
参考   https://rekitama-wako.jp/topics/fujiduka

白子熊野神社の裏の池
入口がわからず裏口から神社敷地に入る。湧水があるのか崖の下に池がある
北方向からの富士塚
北方向からの富士塚。富士塚の山腹が見えている
白子熊野神社
白子熊野神社。天気が良いので緑がまぶしい
白子熊野神社の富士塚
白子熊野神社の富士塚。見た目で大きいと感じる。高さ10メートル
白子熊野神社の富士塚の解説板
武蔵野台地のヘリにある場所なので、元の地形を成型して作られてたらしい(書き起し)
白子富士塚ののぼり
白子富士塚ののぼり
富士塚への登山道
巻くように山頂への登山道がついている
富士塚への登山道
裏手に回ると山頂に延びるような登山道に変わる
白子富士塚の山頂部
すこし平坦部があり祠とベンチがある
白子富士塚の山頂部
武州白子富士嶽神社ののぼりがある祠
白子富士塚の山頂からの眺め
奥のマンションは武蔵野台地の崖の上。熊野神社は崖の中腹にあることがわかる
境内からの眺め
大きなイチョウがあり歴史が深いことがわかる。境内の正面が成増駅の方向
白子熊野神社と富士塚
白子熊野神社と富士塚
白子熊野神社の正面の鳥居
正面の入り口から白子熊野神社の鳥居を眺める。わかりにくいが崖の下から眺めている構図になっている

赤塚氷川神社富士塚

赤塚氷川神社(東京都板橋区赤塚)には、江戸時代末期から明治初年にかけて築造された「赤塚氷川神社富士塚」があります。

高さは3.7メートルと小ぶりですが、頂上には浅間神社の祠が祀られています。
また、塚の周囲には「登山三十三度大願成就」などの石碑や黒ボクがあり、富士講の信仰の深さを感じさせます。

□赤塚氷川神社富士塚
https://maps.app.goo.gl/bwJeayFADAQEmfnq8
住所   〒175-0092 東京都板橋区赤塚4丁目23−20
所在施設 赤塚氷川神社 http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/itabashi/5225/
成立   天保6年(1835年)
構築講  丸吉講
大きさ  高さ約3.7メートル、幅約15メートル
眺望   なし、周辺は住宅街
登頂   可能
備考   板橋区の登録文化
参考   -

赤塚氷川神社の正面の鳥居
赤塚氷川神社の正面の鳥居
赤塚氷川神社の富士塚
赤塚氷川神社の敷地にある富士塚。木々に覆われているが、形はわかる。周辺は住宅地。
赤塚氷川神社富士塚の解説板
明治時代の構築。新座市あたりや周辺の講とやり取りがあったらしい(書き起し)
赤塚氷川神社富士塚の登山道
赤塚氷川神社富士塚の登山道。碑と黒ボクがあることがわかる(書き起し)
登山道と黒ボク
登山道がジグザグになっている。黒ボクが多く使われている
赤塚氷川神社富士塚の山頂の祠
山頂は狭めで平坦になっていて祠がある
赤塚氷川神社富士塚の裏手から撮影
赤塚氷川神社富士塚の裏手から撮影
赤塚氷川神社
赤塚氷川神社。鎌倉時代初期の元久3年(1206年)頃の創建。当時の領主である豊島左衛門尉経泰が、武蔵国一宮である大宮氷川神社から御分霊を勧請し、社殿を建立したのが始まりとされている

赤塚城跡

赤塚城跡は、東京都板橋区赤塚に位置する中世の城跡で、現在は城山公園として整備されています。
武蔵野台地の縁に位置し、自然の地形を利用した平山城です。

周辺は住宅地として開発されていますが、ここは多くの緑が残されています。

赤塚溜池
赤塚城跡のふもとにある赤塚溜池。釣りをする人がちらほらいる
赤塚城跡への階段
赤塚城跡へは階段を上がる必要がある
赤塚城跡の山頂
赤塚城跡の山頂。赤塚城跡は平坦になっている
「武蔵千葉氏と赤塚城跡」の解説板
「武蔵千葉氏と赤塚城跡」の解説板(書き起し)

乗蓮寺・東京大仏

「東京大仏」があることで広く知られる乗蓮寺は赤塚城のすぐ南に位置しています。
正式名称は「赤塚山 慶学院 乗蓮寺」で、創建は室町時代と伝えられています。

徳川家康や歴代将軍から朱印地を寄進されたり、徳川吉宗が鷹狩の際の休憩所として利用されたりと、徳川家とゆかりがあるようで、葵紋が目立ちます。

「東京大仏」の名は訪日客にも有名なのか、絵馬に外国の文字のものが多いのが印象的でした。

山門の全容
山門には赤塚山の文字がある。寺の正式名称は「赤塚山 慶学院 乗蓮寺」
山門からの眺め
山門からの眺め
山門の葵紋
山門の葵紋。徳川家康から10石の朱印地を寄進されたり、8代将軍・徳川吉宗が鷹狩の際の休憩所として利用したりと、かかわりが深い。
乗蓮寺
乗蓮寺
東京大仏
東京大仏

赤塚諏訪神社富士塚

赤塚諏訪神社富士塚は、東京都板橋区大門に位置する歴史ある富士塚で、江戸時代末期から明治初期にかけて築かれました。
この富士塚は、赤塚諏訪神社の境内から南西に約100メートル離れた境外地にあります。

草木が生い茂る時期のため山体を明確に確認することはできませんでしたが、石碑や山頂の祠を確認しました。

造成時期は明確にはなっていないようです。
ただし、志木市敷島神社の「田子山富士」や和光市白子熊野神社境内の富士塚にある碑にある記録から、明治3年以前の幕末期にこの土地に伝搬したことが推定されています。
講の関係性の点でも興味深いことです。

□赤塚諏訪神社富士塚
https://maps.app.goo.gl/g29sc3at6ykgWEjs9
住所   〒175-0085 東京都板橋区大門5
所在施設 赤塚諏訪神社
成立   明治3年(1870)より前?
構築講  丸吉講
大きさ  高さ約4メートル、東西幅約?メートル、南北幅約?メートル
眺望   なし
登頂   可能
備考   板橋区の登録記念物
参考   -

赤塚諏訪神社富士塚の敷地
赤塚諏訪神社富士塚の敷地。赤塚諏訪神社の境内から南西に約100メートル離れた境外地にある
浅間神社の鳥居
富士塚は木々に覆われていて形がはっきりとしない
富士塚山頂への入口
富士塚山頂への入口。山頂への道は草木に覆われていてはっきりとしない
富士塚山頂への道
富士塚山頂への道。わずかに黒ボク石があるようだ
富士塚の祠
富士塚の祠。草が生い茂っている。山頂に祠がある
赤塚諏訪神社富士塚の解説板
赤塚諏訪神社富士塚の解説板。構築された時期は判然としない。幕末にはあったようだ(書き起し)
日露戦役記念碑
日露戦役記念碑

感想

和光市から板橋区の富士塚、白子富士、赤塚氷川神社富士塚、諏訪神社富士塚と赤塚山を巡りました。

住宅地の中を目的地を目指して移動する散歩となりましたが、武蔵野台地の縁ということで、比較的アップダウンの多い工程になりました。

富士塚はそれぞれ手間をかけて手入れされているようですが、草木が生い茂る季節になると、雑草に埋もれてしまうことがありそうです。見る時期がポイントになるかもしれないと感じました。

参考情報

和光市の文化財指定のお知らせ
「市内3基の富士塚が市指定文化財に指定されました!」

白子富士は存在を知っていたのですが、下新倉氷川八幡神社富士塚、浅久保浅間神社富士塚は存在を知りませんでした。近くなら立ち寄るべきでした。。。

owner
すかいす
すかいす
駆け出しブロガー
埼玉県在住。主に関東圏の山に登っています。都内や埼玉県内の散歩もします。
記事URLをコピーしました