【富士塚】上尾・戸崎の浅間塚へ|宮原駅から花の丘、清河寺温泉まで歩く(2026.08.31)
8月最後の日、宮原駅から上尾市戸崎に残る富士塚「戸崎の浅間塚」を目指して歩きました。
戸崎の浅間塚は、高さ約4.8m、直径約25mという上尾市内最大級の富士塚です。今回は浅間塚だけでなく、途中にある「関東の富士見百景」にも立ち寄り、さらに大宮花の丘農林公苑、さいたま清河寺温泉を経由して西大宮駅まで歩くことにしました。
宮原駅を出発すると、住宅街の先で大宮台地から鴨川沿いの低地へ下り、再び戸崎へ上っていきます。実際に歩くと、地図だけでは気づきにくい土地の高低差も感じられました。
残念ながら曇り空で富士山を見ることはできませんでしたが、富士山を望む場所から富士塚へ向かい、花を眺め、最後は温泉で汗を流す、変化のある散歩になりました。
基本情報
日付:2026.08.31
天候:曇り
コースタイム
14:42 発 宮原駅
15:25 浅間神社・戸崎の浅間塚
15:39 大宮花の丘農林公苑
16:36 さいたま清河寺温泉
18:21 着 西大宮駅
行程記録
宮原駅~浅間神社
宮原駅からしばらくは平坦な住宅街が続きます。15分ほど歩いたところで道が下り始め、台地の端に来たことが感覚的にも分かりました。


坂を下った先を流れているのが鴨川です。鴨川を渡ると再び上り坂となり、戸崎方面へ向かいます。途中には学校があり、その建設に先立つ発掘調査では縄文時代の遺構を含む前戸崎遺跡が確認されたそうです。


道端ではザクロの実を何度か見かけました。まだ暑さの残る8月末ですが、こうしたものを見ると少しずつ秋に向かっていることを感じます。
戸崎では「関東の富士見百景」に選ばれた場所にも立ち寄りました。この日は曇っていて富士山はまったく見えません。周囲には木々もあるため、荒川の土手のように大きく視界が開けた富士見スポットという印象でもありませんでした。それでも、条件がよければこの先に富士山が見えると想像しながら、今回の目的地である戸崎の浅間塚へ向かいました。




浅間神社・戸崎の浅間塚
戸崎の浅間塚に到着すると、杉林の中にこんもりと盛り上がった塚が見えてきました。高さ4.8m、直径25mの円墳状で、上尾市内最大級の浅間塚とされています。数字だけではそれほど大きく感じませんが、実際に目の前にすると、人工的に造られた小さな山として十分な存在感があります。



これまで見てきた富士塚には黒ボク石などを使って富士山らしさを表現したものもありましたが、戸崎の浅間塚ではそのような石は見当たりません。基本的には土を盛って造られているようです。それでも塚の形がきれいに残っていることには驚きました。周囲には堀状のくぼみも確認でき、少し離れて眺めると塚全体の形がよく分かります。
塚には30段ほどの石段があり、その先の頂上には質素な浅間神社が鎮座しています。訪問時には塚全体を立入禁止とする表示はありませんでしたが、鳥居側と南側の斜面には登らないよう案内がありました。斜面を直接登るのではなく、塚を保護するための措置なのでしょう。
境内には力石や小さな祠、「富士浅間神社ノ由来」と刻まれた石碑なども残っています。また、杉林はきれいに手入れされており、現在も大切に守られている場所であることが感じられました。
□戸崎の浅間塚
https://maps.app.goo.gl/K8uTugG4voRVsCii9
住所 〒362-0053 埼玉県上尾市戸崎231−2
所在施設 浅間神社
成立 19世紀前半
構築講 -
大きさ 高さ4.8メートル、直径25メートル
眺望 なし
登頂 可
備考 https://www.city.ageo.lg.jp/site/iinkai/064110111001.html













今回特に興味深かったのは、浅間塚を訪れる前に「関東の富士見百景」に選ばれた場所を通ったことです。この日は曇っていて富士山を見ることはできませんでしたが、本来なら富士山を望める土地に、富士山を模した大きな塚が残されています。実際の富士山への信仰と目の前の浅間塚を結び付けて考えられることも、戸崎を歩いて訪ねる面白さだと感じました。
大宮花の丘農林公苑
浅間神社から歩いて大宮花の丘農林公苑へ向かいました。駐車場付近から振り返ると、先ほどまでいた浅間神社の森が見えます。ただ、外から眺めただけでは、あの森の中に大きな富士塚と浅間神社があるとは分かりません。

花の丘では、この時期に見られる花を期待していましたが、今回は少しタイミングを逃してしまったようです。それでも一部には赤いサルビアが残り、小ぶりのヒマワリも咲いていました。
広い公苑だけに、花が見頃なら散歩の目的地としてかなり楽しめそうです。一方で季節によって景色は大きく変わりそうなので、花を主目的に訪れるなら、開花状況を確認してから出かけるのがよさそうだと感じました。




さいたま清河寺温泉
花の丘を出て、上尾道路を越えて清河寺方面へ向かいます。歩道橋から周囲を眺めても写真ではなかなか伝わりませんが、この辺りを歩いていると、再び台地の上を歩いていることが感じられました。


温泉へ向かう途中では、清河寺の大ケヤキにも立ち寄りました。一部がコンクリートで保護されていますが、実際に目の前に立つと写真で見る以上に大きく、その存在感に圧倒されます。


そして今回の散歩の最後の目的地、さいたま清河寺温泉に到着しました。平日でしたが夕方ということもあり、それなりに利用客がいます。
この日は曇りで猛暑というほどではなかったものの、ここまで歩けばやはり汗をかきます。散歩の途中ではなく最後に温泉を配置したのは正解でした。歩いた後にすぐ汗を流し、湯につかれるのは気持ちがよいものです。
入浴後は食事処で「清河寺御膳」をいただきました。そばとエビの天ぷらがおいしく、歩いて、温泉に入り、食事をするという満足感のある締めくくりになりました。
温泉を出た後は西大宮駅まで歩き、今回の散歩を終えました。



まとめ
宮原駅から戸崎の浅間塚を訪ね、大宮花の丘農林公苑、さいたま清河寺温泉を経て西大宮駅まで歩きました。
今回もっとも印象に残ったのは、やはり戸崎の浅間塚です。高さ4.8m、直径25mという上尾市内最大級の浅間塚は、黒ボク石などを使わず土を盛った比較的素朴な造りですが、現在もきれいな形を残していました。事前に関東の富士見百景にも立ち寄ったことで、本物の富士山を望む土地に富士山を模した塚が残されていることも、より興味深く感じられました。
また、宮原駅から歩いたことで、大宮台地から鴨川沿いへ下り、再び台地へ上がる地形の変化を実際に感じられたのも収穫でした。大宮花の丘農林公苑では花の見頃を少し外してしまいましたが、最後に清河寺温泉で汗を流し、食事をして散歩を締めくくることができました。
富士塚だけでなく、地形や季節の風景にも目を向けながら歩ける、変化のある散歩になりました。
参考情報
戸崎の浅間塚と富士浅間神社
現地の案内板によると、浅間塚は富士塚とも呼ばれ、江戸時代後期から富士浅間信仰を背景に造られるようになりました。戸崎の浅間塚は「浅間様」と呼ばれ、高さ4.8m、直径25mの円墳状で、上尾市内最大級とされています。築造年代は19世紀前半と考えられています。
塚と塚上の浅間神社は、戸崎村を開拓したとされる長沢家が所有しています。また、富士山の山開きに合わせ、生まれて初めて7月1日を迎える子どもの健やかな成長を祈願する「初山」の行事も伝えられています。
https://www.city.ageo.lg.jp/site/iinkai/064110111001.html
「富士浅間神社ノ由来」の碑
境内には昭和63年(1988年)建立の「富士浅間神社ノ由来」という石碑があります。撮影した碑文を後から確認すると、浅間神社についてかなり古い由緒が記されていました。
碑では「古文書ニヨレバ」として、長元元年(1028年)に長澤若狭守平朝臣信勝と家来が戸崎村へ移住・開拓し、富士浅間神社を祀ったとしています。御神体は駿河の富士浅間神社の「分身」と伝えられ、祭神の木花開耶姫命を安産・子育ての神として崇敬したとも記されています。
ただし、これは由来碑が伝える浅間神社の由緒であり、現在残っている浅間塚が1028年に築かれたという意味ではありません。現地の上尾市教育委員会の案内板では、現在の浅間塚の築造年代を19世紀前半としています。この二つは区別して考える必要があります。
碑にはその後の歴史も記録されています。
- 文政年間には『新編武蔵風土記稿』に関連する記述と、名主又兵衛の祖先に関する由緒が記されている。
- 検地について、建久年間、天正13年(1585年)、元禄7年(1694年)などの記述がある。
- 大正2年(1913年)には、放火によって焼失し、直ちに改修されたと記されている。
- 昭和63年(1988年)には改築が行われ、末社だった下浅間神社を合祀。水屋の改築や鳥居、石段、末社の補修なども行われたと記されている。
特に「下浅間神社ヲ合祀ス」という記述は、現在の姿になるまでに浅間神社の構成が変化してきたことを示す興味深い記録です。
