【富士塚】2026年山開き、東京都内の富士塚を巡る(2026.07.01)
7月1日、山開きの日。天気予報では梅雨の時期にもかかわらず雨は降らなそうだったので、東京都内に残る富士塚を巡ってきました。
江戸時代、人々は実際の富士山へ登る代わりに、各地に築かれた富士塚を登拝し、富士登山と同じ御利益を願いました。現在でも山開きに合わせて祭礼が行われる富士塚が数多く残っています。
今回は山開きの日ならではの雰囲気を味わいながら、都内各地の富士塚を巡ってみました。
基本情報
日時:2026.7.1(水)11:01-17:21
天候:曇り
コースタイム
11:01 発 駒込駅
11:16 駒込富士
12:17 音羽冨士
12:57 高田富士
13:18 穴八幡宮
13:46 箱根山
14:42 花園神社
14:57 新宿富士(芸能浅間神社)
14:30 西大久保富士
14:42 花園神社
16:06 千駄ヶ谷富士
16:16 着 北参道駅
16:57 発 十条駅
17:07 十条富士塚
17:21 着 東十条駅
山行記録
駒込富士神社
昼前に駒込富士神社へ到着しました。境内では山開き大祭の準備が進められており、露店の設営で大忙しです。すでに営業を始めている店もあり、焼きそばや甘いお菓子の香りが漂い、お祭りらしい雰囲気に包まれていました。
境内を進むと、小高い富士塚へ続く石段が目に入ります。斜面には富士講や奉納者による石碑が整然と並び、赤や白に塗られた文字が緑によく映えています。石段の脇には、加賀鳶の纏を刻んだ石碑も残されていました。火消しとして活躍した加賀鳶が奉納したもので、加賀藩前田家とのゆかりを今に伝えています。
駒込富士神社は、江戸七富士の一つに数えられる代表的な富士塚です。一般的な富士塚は江戸時代に人工的に築かれたものが多いのに対し、駒込富士はもともと存在していた塚(古墳の可能性も指摘されています)を富士山信仰の場として利用したという伝承が残っています。この成立の経緯は、都内の富士塚の中でも特に珍しいものです。
また、この神社は現在地が創建地ではありません。もともとは現在の東京大学本郷キャンパス付近に鎮座していましたが、加賀藩前田家の屋敷造営に伴い現在地へ遷座しました。そのため、境内には加賀藩や加賀鳶ゆかりの石碑が残されており、本郷には現在も「本富士」の地名や本富士警察署の名称がその歴史を伝えています。
富士塚の高さはそれほど高くありませんが、社殿そのものが富士塚の頂上に建てられているのが大きな特徴です。石段を登って参拝すること自体が、富士山へ登拝することを象徴しているように感じられました。
訪れたのは山開き初日。露店の準備が進む境内を歩いていると、これから始まる祭りへの期待感が伝わってきます。静かな神社とは違った活気があり、江戸時代から続く「お富士さん」の伝統が今も地域に息づいていることを実感しました。







□駒込富士神社
https://maps.app.goo.gl/68SRmcFpytzYLAKE7
住所 〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目7−20
所在施設 駒込富士神社
成立 天正元年(1573年)創建、寛永5年(1628年)現在地へ遷座。江戸時代以前から存在した塚を利用したと伝わる
構築講 ?
大きさ 高さ約5~6メートル
眺望 なし
登頂 可能
備考 https://www.city.bunkyo.lg.jp/b014/p003817.html
音羽冨士
高田富士へ向かう途中、護国寺に立ち寄りました。4月にも訪れていますが、山開きの日ということで改めて音羽富士を訪ねます。
護国寺は五代将軍・徳川綱吉が生母・桂昌院の発願によって建立した由緒ある寺院です。その広い境内の一角に、ひっそりと音羽富士が築かれています。
音羽富士は、江戸時代に地域の富士講によって築かれた富士塚で、護国寺の境内に残る数少ない富士信仰の遺構です。高さはそれほどありませんが、登拝路や山頂の祠が残されており、江戸の人々が富士山への代参として登った様子を想像することができます。
山開きの日ではありましたが、特別な飾り付けや祭礼は行われておらず、境内は普段どおりの落ち着いた雰囲気でした。駒込富士神社のような賑わいとは対照的で、静かな境内でゆっくりと富士塚を眺めることができます。
4月に訪れたときと比べると、周囲の木々はすっかり緑を深め、富士塚の斜面には笹も伸びていました。同じ場所でも季節が変わるだけで印象は大きく変わります。新緑に囲まれた音羽富士は、都会の寺院とは思えないほど落ち着いた雰囲気がありました。






□音羽富士
https://maps.app.goo.gl/wSJ2h4xpUac642xY9
住所 〒112-0013 東京都文京区大塚5-40-1
所在施設 護国寺
成立 文政年間(19世紀前半)頃とされる
構築講 音羽富士講
大きさ 高さ約5メートル
眺望 なし
登頂 可能
備考 護国寺境内に残る富士塚。静かな境内で江戸時代の富士講文化を伝えている。

髙田富士・浅間神社
護国寺を後にして、高田富士へ向かいました。
地図を見ると甘泉園公園の中にあるように見えますが、実際には水稲荷神社の境内に属しており、公園とはフェンスで区切られています。そのため、公園側からは自由に立ち入ることはできません。
訪れた日は山開きの時期でしたが、公開日は別に定められているため、富士塚へ登ることはできませんでした。現在の高田富士は、毎年7月の海の日頃に行われる「高田富士祭」で一般公開されるのが恒例となっています。
フェンス越しに眺めると、緑に包まれた円錐形の美しい富士塚が見えます。鳥居や登拝道も確認でき、江戸時代の富士講が築いた姿をよく残していることが分かります。
高田富士は江戸七富士の一つに数えられ、江戸時代には多くの富士講信者が訪れた代表的な富士塚でした。現在の場所へは水稲荷神社の移転に伴って移築・再築されており、都市の変化の中でも信仰が受け継がれてきた歴史があります。
今回は残念ながら近くで見ることはできませんでしたが、「次は公開日に訪れて実際に登拝してみたい」と思わせてくれる富士塚でした。今回の富士塚巡りでは、唯一「宿題」が残る場所となりました。





□髙田富士
https://maps.app.goo.gl/yqByYMAxtLuNz9Ea7
住所 〒169-0051 東京都新宿区西早稲田3丁目5−5 新宿区立甘泉園公園
所在施設 水稲荷神社
成立 宝暦年間(1751~1764年)頃に築造。現在の富士塚は大正期の神社移転に伴い再築。
構築講 丸藤宮元講社
大きさ 高さ約5~6メートル
眺望 なし
登頂 通常不可(高田富士祭などの公開日のみ)
備考 江戸七富士の一つ。毎年7月の海の日頃に一般公開される。
穴八幡宮
高田富士を後にして、早稲田通りを南へ歩くと穴八幡宮に到着します。
穴八幡宮は平安時代、源義家が前九年の役の戦勝を記念して創建したと伝えられる古社です。江戸時代には山裾を切り開いた際に横穴が見つかり、中から金銅阿弥陀如来像が出土したことから「穴八幡宮」と呼ばれるようになったと伝えられています。
境内はきれいに整備されており、初夏の若葉が鮮やかでした。朱色の随神門や灯籠とのコントラストが美しく、都心にありながら落ち着いた雰囲気が漂っています。
この神社は、冬至から節分まで授与される**「一陽来復御守」**で広く知られています。金運・商売繁盛の御利益を求めて毎年多くの参拝者が訪れるため、冬には長い行列ができるほどです。今回は夏越の祓の時期だったため静かな境内でしたが、季節によってまったく違う表情を見せる神社なのだと感じました。
高田富士や箱根山からも徒歩圏内にあり、この周辺は神社や富士塚、庭園など見どころが集まっています。富士塚巡りの途中で立ち寄ることで、早稲田の歴史や文化に触れられる良い休憩ポイントになりました。




箱根山
以前から気になっていた箱根山も、今回の散策ルートに組み込みました。
箱根山は標高44.6mで、山手線内では最も高い山として知られています。現在は戸山公園の一部となっていますが、江戸時代には尾張徳川家の下屋敷「戸山荘」の庭園として築かれた人工の築山です。本物の山ではなく、人の手によって造られた山という点では、富士塚とも共通する歴史があります。
穴八幡宮を出てからは、緩やかな坂道を歩いてきましたが、公園に近づくと石段が現れ、思っていた以上に高低差があることに気づきます。山頂までは数分で登れるものの、周囲の地形より一段高くなっているため、小さな登山気分を味わえます。
山頂は広場のように整備されており、木々の間から新宿副都心の高層ビル群を望むことができました。江戸時代にはここから箱根連山や富士山まで見渡せたともいわれますが、現在は木々やビルが視界を遮り、その姿を見ることはできません。
それでも山頂の方位盤には富士山の方向が示されており、「かつてはこの場所から富士山が見えたのだろう」と想像すると、江戸時代の景色に思いを巡らせることができました。
今回巡った富士塚はいずれも信仰の対象として築かれたものですが、箱根山は大名庭園の景観を楽しむために造られた築山です。同じ「人工の山」でありながら、その目的の違いを比較できるのも興味深く感じました。





東大久保富士(西向天神社)
箱根山を後にして、新宿方面へ歩き、西向天神社にある東大久保富士を訪れました。
西向天神社は小高い台地の上に鎮座しており、その境内の一角に東大久保富士があります。正面から見ると高さは3メートルほどに感じられる比較的コンパクトな富士塚ですが、境内の裏手へ回ると高低差が大きくなり、正面から見た印象とはまったく違う迫力があります。
東大久保富士は、天保13年(1842年)に地域の富士講によって築かれた富士塚です。しかし、明治時代に一度撤去され、その後、大正14年(1925年)に「富士山廿六夜講社」によって再築されました。
山裾には「再築記念碑」や寄付者名を刻んだ石碑が残されており、現在見ることができる富士塚が地域の人々の手によって復興されたものであることが分かります。富士塚は数多く残っていますが、「一度失われ、地域の人々によって再び築かれた歴史」をこれほど明確に伝える例は多くありません。
現在は保存のためフェンスに囲まれ、登拝することはできません。それでも石碑や山肌を眺めていると、地域の信仰を守り続けようとした人々の思いが伝わってくるようでした。
特に印象的だったのは、裏手から見た姿です。境内側から見たときには小さく感じた富士塚が、裏側では何倍もの高さに見えます。周囲の地形を巧みに利用して築かれていることがよく分かり、実際に一周してみる価値のある富士塚だと感じました。




□東大久保富士
https://maps.app.goo.gl/ytHmu2xA9vtfXngv6
住所 〒160-0022 東京都新宿区新宿6丁目21−21
所在施設 西向天神社
成立 天保13年(1842年)築造。明治時代に撤去され、大正14年(1925年)に富士山廿六夜講社が再築。
構築講 富士山廿六夜講社(再築)
大きさ 高さ約4~5メートル
眺望 なし
登頂 不可
備考 再築記念碑・寄付者名碑が現存。富士講と廿六夜講の歴史を伝える貴重な富士塚。
西大久保の厄除富士
東大久保富士を後にして西へ向かい、歌舞伎町の一角にある稲荷鬼王神社を訪れました。
繁華街の中にありますが、一歩境内へ入ると街の喧騒が少し遠のき、落ち着いた空気が流れています。稲荷鬼王神社は、全国でも珍しく「鬼王」の名を持つ神社で、古くから厄除けや病気平癒の信仰を集めてきました。
西大久保の厄除富士は、本殿の裏手にあります。最初に目に入ったときは「小さな富士塚が二つある」と思いましたが、実はもともとは一つの富士塚でした。
現在は参道を挟んで、
- 一合目から四合目
- 五合目から山頂
の二つに分かれています。これは昭和43年(1968年)の社殿再建に伴う参道整備によるもので、全国でも非常に珍しい構造です。神社では、この参道を「富士の胎内へ通じる道」と位置付けており、分断された形を信仰の中に取り込んでいる点も興味深く感じました。
この富士塚は、古くからこの地にあった浅間神社が明治27年に稲荷鬼王神社へ合祀された後、昭和5年(1930年)に「西大久保の厄除富士」として復興されたものです。富士山の溶岩だけでなく全国各地の銘石を集めて築かれたという特徴があり、他の富士塚とは少し異なる趣があります。
訪れた日は夏越の祓の期間中で、境内には茅の輪が設けられ、平日にもかかわらず多くの参拝者が訪れていました。御朱印をいただくと、「夏越ごはん」用の雑穀米を授与してくださいました。半年の穢れを祓い、残る半年の無病息災を願う神事に合わせた心遣いで、思いがけず季節を感じる記念品となりました。
歌舞伎町という都会の真ん中にありながら、昭和初期の富士信仰と厄除け信仰が今も受け継がれていることに驚かされる場所でした。





□西大久保厄除富士
https://maps.app.goo.gl/jDMe6NfKTTNkxq1Q8
住所 〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町2丁目17−17
所在施設 稲荷鬼王神社
成立 昭和5年(1930年)。明治27年に合祀された浅間神社を復興。昭和43年(1968年)の社殿再建に伴い二分される。
構築講 負傷
大きさ 高さ約2メートル、直径約2メートル
眺望 なし
登頂 不可
備考 参道を挟んで一合目~四合目と五合目~山頂に分かれる全国でも珍しい富士塚。厄除け信仰との結び付きが特徴。
芸能浅間神社
西大久保の厄除富士を後にして、花園神社へ向かいました。
花園神社の境内北東の一角には、小さな富士塚の上に鎮座する芸能浅間神社があります。高さは1~2メートルほどと控えめですが、山肌には富士山の溶岩が積まれ、小さいながらも富士塚の姿をしっかりと残しています。
芸能浅間神社は**昭和3年(1928年)に創建され、祭神には富士山信仰の神である木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)**が祀られています。当初は単に「浅間神社」と呼ばれていましたが、花園神社が江戸時代から芝居や見世物興行と深い関わりを持ち、新宿が演劇や芸能の街として発展する中で、多くの芸能関係者が参拝するようになり、自然と「芸能浅間神社」と呼ばれるようになりました。
境内には芸能関係者が奉納した玉垣が数多く並び、俳優や歌手、声優などの名前を見ることができます。富士塚というより、「芸能の神様」として親しまれていることを実感しました。
今回巡った富士塚の多くは地域の富士講による信仰を今に伝えるものでしたが、芸能浅間神社は富士信仰が現代の芸能文化と結び付いて受け継がれている点が印象的でした。新宿という街ならではの個性を感じられる富士塚です。
この日は花園神社で御朱印をいただくと、記念品としてジンジャーティーをいただきました。夏越の祓の時期ということもあり、神社ごとに趣向を凝らした授与品が用意されているのも、今回の富士塚巡りの楽しみの一つでした。





□芸能浅間神社
https://maps.app.goo.gl/ugF1SAYcj9vJ4nTn7
住所 〒160-0022 東京都新宿区新宿5丁目17−2
所在施設 花園神社
成立 昭和3年(1928年)創建
構築講 ?
大きさ 高さ約1.5メートル、直径約1.5メートル
眺望 なし
登頂 不可
備考
千駄ヶ谷の富士塚(冨士浅間神社)
花園神社を後にして、新宿三丁目から千駄ヶ谷方面へ向かいました。商店街を抜けると、静かな住宅街の中に鳩森八幡神社が現れます。
境内へ入ると、すぐ目の前にきれいな円錐形の富士塚が目に飛び込んできます。これが「千駄ヶ谷の富士塚」です。
千駄ヶ谷の富士塚は、**寛政元年(1789年)**に築かれたと伝えられ、東京都内に現存する最古の富士塚として東京都指定有形民俗文化財に指定されています。
高さは約6メートルと特別大きいわけではありませんが、一合目から山頂までの登拝道、合目石、里宮、奥宮、七合目の洞窟など、江戸時代の富士塚の基本的な構成が非常によく残されています。実際に登ってみると、本物の富士山を小さく再現しようとした当時の人々の工夫がよく分かります。
山道を歩いていると、火山岩で覆われた山肌や合目石が次々と現れ、短い距離ながら登山気分を味わえます。山頂は思っていた以上に狭く、小さな浅間神社の祠が静かに鎮座していました。
山頂からは鳩森八幡神社の境内を見下ろすことができます。現在は木々や周囲の建物に囲まれていますが、江戸時代にはここから富士山を望みながら参拝した人もいたのでしょう。
訪れた日は夏越の祓の期間中ということもあり、境内には茅の輪が設けられていました。富士山信仰と半年の穢れを祓う神事が同じ境内で行われている様子を見ると、季節の節目を大切にしてきた日本の信仰文化を改めて感じました。
今回巡った富士塚の中では、実際に登拝できること、そして江戸時代の姿を最もよく残していることから、特に印象に残る一社となりました。











□千駄ヶ谷の富士塚
https://maps.app.goo.gl/WksGpiRD8pdPrroY7
住所 〒151-0051 東京都渋谷区千駄ケ谷1丁目1−23
所在施設 鳩森八幡神社 https://www.hatonomori-shrine.or.jp/
成立 寛政元年(1789年)築造
構築講 千駄ヶ谷富士講
大きさ 高さ約6メートル
眺望 境内を見渡せる
登頂 可能
備考 東京都指定有形民俗文化財。東京都内最古の現存富士塚。里宮・奥宮・合目石・七合目の洞窟など江戸時代の富士塚の基本構成をよく残す。
十条富士
今回の富士塚巡りの最後は、十条駅から十条富士へ向かいました。
十条駅を出て演芸通りを東十条方面へ歩きます。平日の夕方ということもあり、商店街は普段どおりの人通りでした。しかし、十条富士塚へ続く「フジサンロード」に入ると景色は一変します。
道路の両側には露店がずらりと並び、多くの人で賑わっています。焼きそばや焼き鳥の香り、子どもたちの楽しそうな声が響き、昔ながらの縁日の雰囲気に包まれていました。
十条富士塚は江戸時代中期に築かれた富士塚で、現在も十条冨士講によって山開きの祭礼が受け継がれています。富士講が現在も活動を続け、祭礼を主催している例は都内でも少なく、江戸時代から続く富士信仰を今に伝える貴重な存在です。
毎年6月30日と7月1日に行われる「お冨士さん」は、東京を代表する山開きの祭りの一つとして知られています。富士塚へ登拝すると富士山へ登ったのと同じ御利益が得られると信じられ、多くの参拝者が訪れます。
フジサンロードには約400メートルにわたって露店が並び、山開きの日ならではの活気にあふれていました。今回巡った富士塚の中でも、これほど多くの人で賑わっていたのは十条富士だけです。
富士塚自体は高さ約6メートルとそれほど大きくありませんが、山頂には浅間神社の祠が祀られ、山肌には富士山の溶岩が配されています。規模よりも、「今も生きている信仰」を感じられることが、この富士塚の最大の魅力だと思いました。
朝に訪れた駒込富士神社でも山開きの準備が進められていましたが、夕方の十条富士では祭りが最高潮を迎えていました。一日を通して東京の富士塚を巡り、最後にこの賑わいを体験できたことで、「山開きの日」を締めくくるのにふさわしい一日になりました。




□十条富士
https://maps.app.goo.gl/HE4jSWzcoek7Tmqf9
住所 〒114-0031 東京都北区十条仲原1丁目付近
所在施設 十条冨士神社
成立 江戸時代中期
構築講 十条冨士講
大きさ 高さ約5.8メートル
眺望 なし
登頂 可能
備考 毎年6月30日・7月1日に「お冨士さん」が開催される。東京を代表する山開きの祭礼の一つ。
まとめ
7月1日の山開きに合わせて東京都内の富士塚を巡ってみると、一つひとつに異なる歴史や個性があることを改めて実感しました。古くからの姿を残す千駄ヶ谷の富士塚、再築の歴史を伝える東大久保富士、参道によって二つに分かれた西大久保厄除富士、芸能の街・新宿ならではの芸能浅間神社、そして江戸時代から続く山開きの賑わいを今に伝える十条富士。それぞれが地域の人々の信仰とともに受け継がれてきた貴重な文化遺産でした。
普段は静かな神社や富士塚も、山開きの日には露店が並び、多くの参拝者で賑わいます。富士塚は単なる「小さな山」ではなく、江戸の人々が富士山への憧れを形にした信仰の場であり、今も地域の文化として生き続けています。
実際の富士山に登る機会がなくても、山開きの日に都内の富士塚を巡れば、江戸から続く富士信仰や季節の行事を身近に感じることができます。来年の山開きには、ぜひお気に入りの富士塚を訪れて、その土地ならではの歴史や祭りの雰囲気を味わってみてはいかがでしょうか。
参考情報
江戸七富士
「江戸七富士」 と呼ばれた富士塚があります。
駒込富士、音羽富士、高田富士、千駄ヶ谷富士を訪問したことで、7つをカバーできたことになります。。
| 名称 | 所在地(現在) | 特徴 |
|---|---|---|
| 品川富士 | 品川神社(東京都品川区北品川) | 高さ約15m、都内最大級。品川区文化財指定。 |
| 千駄ヶ谷富士 | 鳩森八幡神社(渋谷区千駄ヶ谷) | 東京都内で現存最古の富士塚(1789年築)。国の重要有形民俗文化財。 |
| 音羽富士 | 護国寺(文京区大塚) | 明治期に一度壊されたが、再築。境内に現存。 |
| 下谷坂本富士 | 小野照崎神社(台東区下谷) | 芸能の神を祀る神社内にあり、富士講ゆかりの地。 |
| 高田富士 | 高田氷川神社(豊島区高田) | 江戸時代に築造、地域講中の信仰の場。 |
| 駒込富士 | 富士神社(文京区本駒込) | 高さ約10m、地域のシンボル的存在。 |
| 十条富士 | 十条冨士神社(北区中十条) | 江戸後期に築造され、今も地域行事で登山可能。 |
