散歩の記録
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【富士塚】和光市の富士塚を巡る – 下新倉氷川八幡神社富士塚、浅久保浅間神社富士塚(2025.6.5)

南西方向からの下新倉氷川八幡神社富士塚
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和光市には3つの富士塚がある。前回見逃していた下新倉氷川八幡神社富士塚、浅久保浅間神社富士塚を見るために軽い散歩に行ってきました。

基本情報

日付:2025.6.5

天候:快晴

コースタイム
  8:12 発 和光駅
  8:31   下新倉氷川八幡神社富士塚
  9:02   浅久保浅間神社富士塚
  9:25 着 和光駅

行程

下新倉氷川八幡神社富士塚

和光駅から徒歩20分ほどで下新倉氷川八幡神社に到着した。
平日の朝の時間帯でもあり、境内は静か。

富士塚は境内の裏手(西側)にある。
草に覆われて形ははっきりしないが、3メートルほどの高さの塚がある。
説明には「富士塚自体は非常に遺存状態が良く、築造当時の姿が良く残され
ている。」とある。
たしかに塚は土に覆われていて黒ボクなどの岩はほとんどないように感じる。

□下新倉氷川八幡神社富士塚
https://maps.app.goo.gl/cJgmfXw8NYh7jww6A
住所   〒351-0111 埼玉県和光市下新倉3丁目13
所在施設 氷川八幡神社 https://hikawahachiman-jinja.com/
成立   明治3年(1870)
構築講  丸吉講
大きさ  高さ約3メートル、幅約15メートル
眺望   富士山の眺望なし
登頂   可能
備考   和光市の指定文化財
参考   元の富士塚は慶長19年(1614)に作られた可能性あり
https://rekitama-wako.jp/museum/bunkazai/shimoniikurahikawahatimannjinnjahujiduka.php

下新倉氷川八幡神社
下新倉氷川八幡神社。和光駅より20分ほど住宅地を歩き到着
下新倉氷川八幡神社の境内
下新倉氷川八幡神社の境内。強い日差しの中誰もいなく静か
下新倉氷川八幡神社の境内
下新倉氷川八幡神社の境内。富士塚は境内を抜けて奥にある
富士塚は神社の裏手にある
富士塚は神社の裏手にある
南西方向からの下新倉氷川八幡神社富士塚
裏の通り(南西)からの富士塚の姿
北西からの下新倉氷川八幡神社富士塚
裏の通り(北西)からの富士塚の姿
南東からの富士塚の姿
南東からの富士塚の姿。塚の側面に当たる。登れるような形跡がある
下新倉氷川八幡神社富士塚の山頂
富士塚の山頂。少し平らになり碑がある
富士塚山頂からの眺め
富士山の方向のはず。多摩のほうも含め山は見えない
鳥居のある富士塚の正面(北東方向から)
鳥居のある富士塚の正面(北東方向から)
富士塚の碑
碑がいくつかある
富士塚正面の登り口
正面にも上れるような形跡がある。
下新倉氷川八幡神社富士塚の説明版
下新倉氷川八幡神社富士塚の説明版

書き起し

市指定 民俗文化財
下新倉水川八幡神社富士塚

指定 令和五年九月二十一日

下新倉氷川八幡神社富士塚は、市内に現存する三基の富士塚の一
つである。富士塚とは、信仰の対象として富士山を模して人工的に
構築された塚をいう。
この富士塚は、現存する石碑の銘文から明治三(一八七〇)年に
丸吉講下新倉講社によって築造されたものであることが分かる。
山頂の神名碑や参道部に残る築山碑によると、この地には慶長年
間から富士浅間神が祀られ、嘉永年間にその再建を経て、明治三(一
八七〇)年に現在の富士塚が築造されたものと考えられる。
富士塚自体は非常に遺存状態が良く、築造当時の姿が良く残され
ている。
富士塚の現状の規模は、径がおよそ一五メートルを測り、境内地
からの比高はおよそ三メートルである。

和光市教育委員会
和光市文化財保護委員会

浅久保浅間神社富士塚

下新倉氷川八幡神社から20分ほど歩いた場所に、次の目的地の浅久保浅間神社がある。
住宅地の中に地域の集会所があり、その裏手に富士塚がある。

浅久保浅間神社富士塚はコンクリートで全体が形成されているものの、黒ボクや碑が多く存在し、その形を作る構成物のひとつとなっている。
高さ3メートルほどであることから、大きいとは感じないが、碑の数を数えると歴史があるものだと感じる。

□浅久保浅間神社富士塚
https://maps.app.goo.gl/EcAMB63XTeSbGRju9
住所   〒351-0113 埼玉県和光市中央1丁目3-22
所在施設 -
成立   明治6年(1873)
構築講  丸吉講
大きさ  高さ約3メートル、幅約10メートル
眺望   眺望なし
登頂   可能
備考   和光市の指定文化財
参考   信仰の始まりが慶長年間に遡ることが推測されている。
https://rekitama-wako.jp/museum/bunkazai/asakubosenngennjinnjahujiduka.php

浅久保浅間神社の鳥居
住宅地の中に地域の集会所があり、浅久保浅間神社の鳥居がある
富士塚の鳥居
富士塚の鳥居。手前の碑に「富士山道」の銘が見える
お稲荷さん
お稲荷さんが併設されている
浅久保浅間神社富士塚の上部
黒ボクと碑とコンクリートで作られた富士塚
浅久保浅間神社富士塚の山頂の祠
浅久保浅間神社富士塚の山頂の祠
浅久保浅間神社富士塚を俯瞰してみる
登山道はジグザグに付いている
浅久保浅間神社富士塚の説明版
浅久保浅間神社富士塚の説明版

書き起し

市指定 民俗文化財
浅久保浅間神社富士塚

指定 令和五年九月二十一日

浅久保浅間神社富士塚は、市内に現存する三基の富士塚の一つで
ある。富士塚とは、信仰の対象として富士山を模して人工的に構築
された塚をいう。

この富士塚は、現存する石碑の銘文から少なくとも明治六(一八
七三)年に丸吉講によって築造されたものと考えられ、昭和前期か
ら中期に移築されたことがわかっている。そのため、現存する富士
塚は信仰開始当初に築造されたものとは異なるが、多数の石造物が
残り、当地の富士浅間信仰を知る上では貴重なものであるといえる。
また、下新倉氷川八幡神社に現存する富士塚には、その富士浅間
信仰の始まりが慶長年間に遡ることが推測されており、浅久保浅間
神社富士塚も同様にその信仰の起源が遡れる可能性がある。
富士塚の現状の規模は、径がおよそ一〇メートルを測り、境内地
からの比高はおよそ三メートルである。

和光市教育委員会
和光市文化財保護委員会

感想

朝とはいえ日差しが強くなってきた中での散歩。
その中で和光市の二つの富士塚を巡りました。
近くの白子富士よりは大きさこそ小さいものの、同時代の活動を知る上では重要なものです。
富士講がこの地域に根付いていたことを感じました。

参考情報

和光市の3つの富士塚は徒歩1時間で回れる距離に存在します。
その際には3つをまとめてみることをお勧めします。

和光市の文化財
 →https://rekitama-wako.jp/museum/bunkazai


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すかいす
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駆け出しブロガー
埼玉県在住。主に関東圏の山に登っています。都内や埼玉県内の散歩もします。
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