【資料】田子山富士塚 保存調査事業報告書

埼玉県志木市にある田子山富士塚は平成30年に保存修理され、報告書が作成されています。
さいたま市の中央図書館に所蔵されている、保存修理事業報告書を紹介します。
基本情報
資料名 田子山富士塚 保存調査事業報告書
著者名 田子山富士保存会
出版年 平成30年(2018年)

概要
田子山富士塚は明治5年(1872)に築造され、この報告書作成時(2018年)時点で146年になっていました。(2025年で153年)
東日本大震災により石造物の転倒や崩落が進んだため、翌年には保存修理のための修復事業が決まったよです。
これはその修復工事が完了時の報告書になります。
修理前後の調査がされているため、富士塚自体を知るための良い資料です。
(写真はすべて調査報告を引用しています)


内容
基本的な内容
これは修正事業の報告書なので、事業の概要、修繕前の状況確認、修理工事の内容と結果が記載されています。
そのため、田子塚富士塚の詳細を知るために最も有効な書籍となっています。
田子山富士塚の築造動機は、夢枕に立った「枕神」からの御神託で、御神体である板碑を発見したためのようです。
塚の構築は明治5年(1872)ですが、板碑には歴応3年(1340)建立とあり、昔から富士信仰の形態があったようです。



田子富士塚の構成要素として以下の点を挙げています。
- 人造の小型富士山
- 頂上に浅間大神を祀る祠
- 塚の下の里宮
- 小御嶽大権現を祀る祠
- 山裾の洞穴(御胎内)
- 登山道に合標
塚の碑や石仏などの構成要素は図と表にまとめられているが、その総数は156に及びます。
そのうち18はこの修復工事で新たに再発見されたもので、調査の大切さがよくわかります。
156の遺物についてはすべて調査報告に記載されています。

田子山富士塚の価値については以下のように述べられています。
- 富士塚の要件を総て満たしている保存状態の良い文化財である。
- 富士塚の築造の経緯が判明している文化財である。
- 寄進者が多様で、当時の引又河岸や富士山信仰を知る上で欠かすことのできない文化財である。
- 富士塚の規模が大きく、かつ石造物の数や種類、細工が優れている。
- 田子山富士保存会が組織され、富士塚の保存管理を行っており、多くの会員が参加している。
この富士塚の登頂は指定日だけ行うことができますが、その対応は地元の保存会の方が数名で担当しているようでした。

調査図面
通常の書籍ではあまりつくことのないA3用紙に平面図、立面図が添付されている。
全く利用価値はないけれど、個人的にはこのような図面はすごく良い。





まとめ
田子山富士塚の保存修理事業報告書から、特に気になった部分を抜粋してご紹介しました。
実際に現地を訪れると、その大きさや遺物の多さに圧倒されますが、報告書によると遺物の数は実に156点にものぼり、改めてその価値の大きさに驚かされました。
以前、さいたま市の富士塚に関する報告書も見たことがありますが、そちらは市内に点在する富士塚を総覧的に扱った調査資料でした。それに対し、この田子山富士塚の報告書は、ひとつの富士塚に特化しており、石碑などの細部に至るまで詳しく記録されています。
一般的な富士塚の姿を理解するうえでも、非常に有用な資料だと感じました。
参考情報
□田子山富士塚
https://maps.app.goo.gl/TwBmaciE2DczNrrx9
住所 〒353-0004 埼玉県志木市本町2丁目9?7
所在施設 敷島神社境内
成立 明治2年10月~明治5年6月
大きさ 高さ約9メートル、円周約125メートル
眺望 山頂から富士山が見える
登頂 指定日に登頂可能(https://www.tagoyamafuji.org/pg_tohai.html)
備考 営業時間10:00-15:00
参考 https://www.tagoyamafuji.org/index.html
春先に田子山富士塚を2度訪れています。
詳しくは以下の記事を参照してください。
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